大阪地方裁判所 昭和28年(ワ)5755号 判決 1956年11月24日
原告 原田駒吉
被告 郡山交通株式会社 外一名
主文
被告等は各自原告に対し金四十六万一千六百八十円及びそれに対する昭和二十八年十二月二十五日より支払済まで年五分の割合による金員を支払うべし。
原告その余の請求を棄却する。
訴訟費用は被告等の負担とする。
本判決は原告勝訴部分に限り原告において被告等に対し、それぞれ金十万円の担保を供するときは各仮に執行することができる。
事実
原告は被告等は各自原告に対し金四十九万一千六百八十円及びこれに対する昭和二十八年十二月二十五日より完済まで年五分の割合による金員を支払うべし、訴訟費用は被告等の負担とするとの判決並びに仮執行の宣言を求め、その請求原因として、被告会社は奈良県生駒郡郡山町を中心として自動車による旅客運送業を営む会社であつて、被告城野は被告会社に自動車運転手として雇はれていたものであるが、被告城野は昭和二十七年十二月二十一日午后五時五十分頃、被告会社のため、被告会社所有の奈第四九号(試運転番号)普通乗用自動車に被告会社代表者を乗せて運転し、大阪府中河内郡柏原町地内の近畿日本鉄道株式会社柏原南口駅陸橋下手前附近奈良街道を東に向け時速約三十五粁で進行していたが、右陸橋の反対北側は同駅より奈良街道に通ずる石段があり、電車降車客がその石段より奈良街道に出て来るので、陸橋の手前からは此の石段の見透しが利かず危険であるから、十分警笛を吹鳴し、速度を落して進行し、且つ前方を注視して歩行者を早期に発見し、衝突を未然に防止する業務上の注意義務あるにも拘らず、これらの措置を採ることなく、単に時速を約二十五粁に減じたのみで漫然進行した過失により陸橋より約三十米東方に至りはじめて自動車の前方約二米に石段を降りた原告が南東に横断するを認め、急遽制動したが及ばず、右前フエンダー辺を原告に追突顛倒せしめ、因て原告に対し治療約八月を要する左下開放性骨折傷を負はしめたものである。右事故により原告は人事不省に陥つたが、被告城野は所謂輓逃げをしたので、原告は近隣の者により一旦大阪府中河内郡柏原町安達医院に収容され、更に警察の手により八尾市市民病院に移され同病院において患部の切開手術を受け、ギブス繃帯を施し、同年十二月末日退院し、爾来毎週診療を受け約二ヶ月後繃帯を取つたが、再手術の必要あり、更に手術を受け同様ギブス繃帯を施し、二ヶ月後これを取除いたが、なお手術の要ありとて三度手術を受け、その後も毎週通院治療を受け、また自宅において患部のマツサージを続け今日に至つているのが、今なお歩行不能の現状である。
右事故は被告会社の代表者を乗車せしめている間に生じたもので、これによつて原告が蒙つた損害は、被告城野が被告会社の事業の執行につき生ぜしめたものに外ならないから、被告城野は勿論、被告会社も被告城野と共にこれを賠償すべき義務がある。
原告は当年六十三才であつて、明治四十二年頃以来撚糸業を営み、昭和六年以降昭和十八年迄は竜華撚糸株式会社の代表取締役の地位に在り、昭和十九年より昭和二十二年まで、再び個人として撚糸業を営み、昭和二十三年度から営業名義を長男原田節夫に譲つたが、依然一家の中心として営業を指揮監督し且つ実際に営業に従事し、上流の生活をしているものであるが、本件事故により、八尾市民病院に治療費金四万七千六百八十円、マツサージ料金一万四千円、通院自動車代一万円、その他の治療雑費金三万円以上、合計金十一万一千六百八十円を支出し、また前記営業に従事することを得ざりしため一ヶ月平均二万円の割合により昭和二十八年十一月二十日まで一年間合計金二十四万円の得べかりし利益を喪失し、更に原告は本件事故により精神上、肉体上多大の苦痛を蒙り、現に歩行不能の状態にあるので慰藉料として尠とも金十五万円を請求し得べきものである。
よつて被告等に対し各自金四十九万一千六百八十円及びこれに対する本件訴状送達の翌日である主文第一項記載の日以降支払済まで年五分の割合による法定利息の支払を求めるため本訴に及んだと陳述した。(立証省略)
被告等は原告の請求を棄却する、訴訟費用は原告の負担とするとの判決を求め、答弁として原告主張事実中被告会社が自動車による旅客運送業を営んでいること、被告城野が被告会社の自動車運転手であつて、原告主張の日時場所で訴外井上一男が乗車し、被告城野の運転する奈第四九号自動車によつて原告が負傷した事実は認める。しかしながら、右自動車は事故当時被告会社の所有ではなく、訴外井上一男がこれに乗車していたのは、同人個人の資格で偶被告城野が井上個人のため右自動車の性能を試みるため試運転するに際し便乗していたものに過ぎない。尤も右試乗の結果によつては井上個人において右自動車を購入して自家用とする意図であつたが、本件事故の発生のため縁起上これを断念し、改めて被告会社において購入するに至つた。従つて右試運転は被告会社の関知せざるところであつた。また被告城野に運転より過失なく、当時の状態としては不可抗力であつた。
仮に被告会社の前記主張が認められないとしても、被告会社は被告城野の選任監督につき相当の注意を施していたのであるから被告会社に損害賠償の責任はないと陳述した。(立証省略)
理由
被告会社が自動車による旅客運送を業とする会社であること、被告城野が自動車運転手であつて、本件事故当時被告会社に雇はれていたこと、原告主張の日時場所で、被告城野の運転する奈第四九号自動車によつて原告が負傷したことは当事者間に争がない。
そして成立に争のない甲第三号証、同第十二号証、同第十四号証を綜合すれば、右事故は被告城野の原告主張の如き過失によつて生じたものであると認めるを相当とし、被告は右事故は不可抗力によるものであると主張するけれども、前記認定を覆えし、被告主張事実を認むべき証拠がないから、被告城野は右事故によつて原告の蒙つた損害を賠償する責任がある。
次ぎに前記甲第十四号証に弁論の全趣旨を綜合すれば、右自動車は被告会社が購入し、事故当時、被告城野は被告会社代表者を乗せて、被告会社のため試運転中であつたことが認められるから、被告城野は被告会社の事業の執行として右自動車を運転していたものと認むべく、被告会社は、右自動車は事故発生当時被告会社の所有ではなく、訴外井上一男が乗車していたのは、同人個人の資格で偶被告城野が井上個人のため右自動車を試運転するに際し便乗していたのに過ぎない。尤も試運の結果によつては井上個人において購入して自家用とする意図であつたが、本件事故の発生により縁起上これを断念し、改めて被告会社において購入するに至つたものであると主張するけれども、これを認むべき証拠がない。そして右事故が被告城野の過失に起因するものと認むべく、不可抗力なりと認むべき証拠のないこと前記の通りであるから、被告会社は被告城野が原告に加えたる損害を賠償する責があるといわなければならない。
被告会社は、被告城野の選任監督に相当の注意を払つたから、被告城野が原告に加えた損害を賠償する責任がないと主張するがこれを認むべき証拠がない。
よつて原告が本件事故によつて蒙つた損害の額について按ずると成立に争のない甲第七、八号証、同第十五号証に証人原田節夫の証言及び原告本人尋問の結果を綜合すれば、原告は本件事故のため左下開放性骨折の傷害を蒙り、負傷当時、昭和二十八年五月、同年秋の三回に亘り手術を受け、昭和三十一年一月頃まで歩行も十分でなかつたこと、その間治療費として八尾市立病院に金四万七千六百八十円を支払いたる外、マツサージ料金一万四千円以上、通院自動車代一万円を支出したこと、原告は明治四十二、三年頃から撚糸業を営み、一時竜華撚糸株式会社を創立してその代表取締役となつていたが、後に農業会専務理事に就任し、次いで昭和二十三、四年頃から実子の訴外原田節夫名義で撚糸業を再開し、一ヶ月の収益五、六万円を挙げていたこと、右営業は原田節夫名義となつているが、実質上、原告の営業であつて得意先廻り、撰別等は主として原告がなしていたこと、原告は本件事故による負傷によつて一ヶ年以上営業に従事すること不能となり、これがため尠とも一ヶ月二万円の得べかりし営業上の利益を喪失したこと、原告の現在の資産は千万円を超えることが認められ、また右認定による諸事情を綜合すれば原告が本件事故によつて蒙つた精神上、肉体上の苦痛は金十五万円の支払を受けることによつて慰藉せられ得べきものと認める。
原告は本件事故により諸雑費三万円を支出したと主張するがこれを認むべき証拠が十分ではない。
然らば、被告等は各自原告に対し、治療費金四万七千六百八十円、マツサージ料金一万四千円、通院自動車代金一万円、昭和二十八年十一月二十日まで一年間に得べかりし営業上の利益喪失額二十四万円、慰藉料金十五万円、合計四十六万一千六百八十円及びこれに対する本件訴状送達の翌日であること記録上明白な主文第一項記載の日以降支払済まで民法所定の年五分の割合による法定利息の支払義務があり、原告の本訴請求は右認定の限度において正当であるが、その余は失当として棄却すべきものである。
よつて民事訴訟法第九十二条但書、第百九十六条を適用し主文の通り判決する。
(裁判官 岩口守夫)